個と種と原発
学生時代に読んだ本で、人間には「個の保存/繁栄」と「種の保存/繁栄」という二つの本能と言えるものがあると言うくだりがあった。(誰の本かも記憶はあいまい、人類学者か哲学者やったと思いますが)
赤ちゃんは
・おなかがすいたら泣く
・おむつが濡れたら泣く
・ママが傍にいなかったら泣く
幼児になると
・欲しいものを買ってもらえないと泣く
・やりたいことをやらしてもらえないと泣く
まあここら辺が、人間の個としての基本的な欲求なのでしょうか?
(還暦過ぎてもそうですから、まあ間違いないでしょう)
より多くの人が、効率よくこのような個としての欲求充足を追求することは、全然間違いとは思いませんが
大きな窓にカーテンで遮光(他人目よけ)して、室内で電灯を付けるようなライフスタイルは、やっぱり何か間違っているような気がします。
個の快適な暮らしの実現に不可欠な電気。その効率的な安定供給には原発が必要。
このロジックも間違いではないのでしょう。
しかし世界の叡智(?)を集めても対処できない福島原発の事故を見ていると、専門家の方がどうおっしゃろうと安心して使える安全な装置でないことは、明らかなように思えます。種の保存という視点で考えると、事故った時、長いスパンで致命的な害を生態系に及ぼしそうな原発はやはりNGと思えます。
太陽光発電とか風力発電とか、いかにもよさそうななんの問題もなさそうな装置が、未だにメインの電力供給デバイスになっていないのは、個の利害を最優先する人たちの設計した制度の問題と思えます。
いまもし国民投票があれば、私は、「なる早で撤廃すべき」と答えます。
W還は、還暦を元気に2周する人生の枠組み。
W還ライフスケッチは、2周目の60年、
その折々の思いのメモ書きです。
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