玉の湯があった!
久々に訪れたふるさと我孫子(地下鉄のあびこです)は、カエルの大合唱を聞いた田圃はもはやゼロ、畑もみんなマンション化。私の育った木造庭付きの市営住宅も鉄筋コンクリートに変わっていました。
往時の面影を探すのを諦めかけたその時、あったのです玉の湯が。玉の湯さんまだ頑張ってはった。もちろん時代に合わせる企業努力は怠らず、営業内容は単純な銭湯ではないようでしたが・・。
玉の湯のお蔭で往時の家並みや自分が遊んだ広場なんかの位置関係が想い起こせました。
坂本九が初めて紅白に出たあの大晦日、除夜の鐘を聞きながら行った玉の湯で、おっちゃんたちがみんな「上を向いて歩こう」を九ちゃんみたいに声を震わせてうたっているんです。口笛を吹いている兄ちゃんも。
当時の歌番組の司会者の定番トーク「歌は世に連れ、世は歌に連れ」がまだ事実だったんですよね。
今思えばなんですが、そうではなくなった頃から紅白を見なくなり、私の歌のレパートリーもその頃で見事にストップしています。
あの頃、トマトは青かった。ギラギラとした太陽の下で、とれとれの青いトマトをリヤカーで売りに歩いている農家のおっちゃんは、枝付きの青いトマトを僕たち小学生にくださって、学校帰りにかじったものです。青いトマトは青春のシンボルでもありましたが、今のトマトはみんな赤くて粒ぞろい。
きゅうりも当時は曲がっていて、いろんな形がありましたが、今のスーパーはみんなまっすぐ長さも同じ。
タマネギもタマネギ形をしていたけど、今は真ん丸ですよね。
いわゆる効率重視の商業主義をベースに置けば、こういう方向になるのは必然なのでしょうが、なんだかなあという気分もぬぐえません。
やっぱり還暦2周目は、ちょっと違う感じで行きたいですよね、で、何をどうすんねんなんて突っ込むのは止めましょうね
|