W還ライフスケッチ 146 |
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東京オリンピックの思い出
今日で、もう何人の先輩から聞いたでしょうか? 「東京オリンピックが決まって嬉しいけど、自分はもたんかも知れん」 今日の旦那さんは赤15歳(75歳)、オリンピックの歳は赤22歳(82歳) 全然大丈夫やんと思うのですが、親は何歳で死んだ、親類の血のつながってない子は何歳で死んだ。 ふつうに考えたらなんの根拠もないことで、自分は無理と決めつけようとされています。
見るからにお元気そうで、どう考えても大丈夫やでと思うのですが、長生きしたら世間に負担を掛けるからとか 早よ死にたいんかいと言いそうになるくらい辛気臭いお話をされていました。 実は、彼女に会いに兵庫県の岡山寄りの街から上六まで来られているそうで、ちょっと言ってることと行動のギャップは大きいんで、絶対にオリンピックは、東京で彼女と見はると思います。 因みに彼女は私と同世代だそうです。
1回目の東京オリンピックは、私は高校1年生。 オリンピックにはまったく関心を示さず、その間勉強に励んで、一躍学年でトップクラスに躍り出た和田君のことを思い出します。私は、オリンピックとは関係なく、成績はずっと最下位クラスに低迷していました。そんな私が大学に行けたのは和田君のお蔭です。なんと私が自宅浪人をしているとき、家庭教師に通ってくれたのです。私の志望学部は、数学は4問、1問できたら通るからと徹底的に1問突破戦略及びノウハウを叩き込んでくれたのです。そして、数学の試験時間の全てを1問に費やして正解。当時の旺文社の模擬試験の合格可能性4%以下という奇跡の合格を成し遂げたのです。 オリンピックという言葉を聞くたびに、この一連の人生の岐路のことが思い浮かびます。 和田君、お元気ですか?ずっと恩義は感じています。
そして結局ずっと、今も自宅浪人のような日々を送っています。 |